最後に笑えればそれでいい

『最後に笑えればそれでいい』
これは、僕の大好きな言葉。
この言葉に出会ったのは、
一つ上の先輩が、中学を卒業する時に
よせがきに書いていたものだった。
あれから数十年経った今でも
僕にはズシンと響く言葉のままだ。
よく考えてみれば、
この言葉に、随分助けられてきた気がする。
話は変わって、
娘は、中学入学と同時にバドミントン部に入部した。
そして、そのバドミントンの応援に行くようになって、
僕の血も騒ぎ始めていた。
そして、1年数ヶ月ほど前、
娘は試合で負けた悔しさがきっかけで、
夜、行われている社会人のバトミントンクラブに
参加させてもらうことになった。
そして、
それに便乗して、僕もバドミントンを始めたというわけ。
ところが、昨年起こった口蹄疫の被害が拡大していた時期、
体育館の使用が2ヶ月ほど禁止され、
娘は、そのままそのクラブには行かなくなった。
だからといって僕も辞めるわけにもいかず、
寂しく一人で通っていた。(笑)
そして、
先日、中学県体のバドミントンの試合の応援に行った。
あれから随分上手くなった娘だったけれでも、
ふがいない試合で負けてしまった。
勝てない相手ではなかっただけに、
その悔しさは、大きなものだったと思う。
コートの外で、一人泣いている姿を遠く見ていた。
帰りの車の中で、娘がポツリと言った。
『また、一緒に練習に行くことにするよ。』
「・・・・・・・そうか。」
僕は、一言だけそう言った。
人生はいつも思い通りいくとは限らない。
いや、思い通りいかなくて、
悔しい思いをすることのほうが多いのかもしれない。
その悔しさが、人を大きくしてくれるのだと思う。
人生は、1勝9敗。
そんなことを言う人もいる。
たとえ9連敗しても最後に勝てれば、
それで全て帳消しにできる。
いや、9連敗の負けも
光り輝くものになるのかもしれない。
『最後に笑えればそれでいい。』
僕は思う。
人は、誰かに勝ったことに対し笑うのではなく、
全力を出し切った自分に満足して笑うのだろうと。
ともあれ、
負けた悔しさで、前に進もうとする娘を見て、
”今日の負けは、いい負けになったな。”
と、少々嬉しくなったオヤジでした。[#IMAGE|S3#]

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