誰も知らない自分を探して

人には、4つの自分がいるのだという。
一つは、自分も知っているが、他人も知っている自分。
2つ目は、自分ではそう思っているが、第3者にはそう見えない自分。
3つ目は、自分では分からないのだが、第3者からはそう見えている自分。
そして、4つ目が、自分も知らないけど、他人にも想像できない自分。
私は、人生とはこの4つ目の自分。
『自分はおろか誰も知らない自分を探す旅』
なんではないだろうかと最近感じている。
話は戻るが、妻であるスッキーは私のことを「イベンター」だという。
イベントを企画して、それを成功させていく人。
私は最近まで、これに反論していた。(今でも少々・・・)笑
「いや俺は、イベンターではない」と。
自分では、全くそう思っていないし、そうでありたいとも思わない。
まさに、3つ目の自分状態。
だって、ワクワクしないし、好きでやっている訳ではないし、
ただ頼まれた仕事(感じ的には、神様からの仕事)くらいなもの。
俺の本質ではない、と。
ところが、振り返ってみると私はたくさんのイベントを企画してきた。
サラリーマン時代から、花見バーベキューをしたり、夏のソーメン流しパーティーをしたり。
毎年恒例のように友達を呼んで、ワイワイよくやっていた。
(ホントは、イベント大好き人間じゃないの~?)笑
そして、脱サラする前に、友達以外の人を集めるという企画に
挑戦していたことに行き着いた。
当時、私は福岡まで気功教室に通っていた。(片道5時間)
1年半ほど通っただろうか。
それで、先生の一番弟子の若先生に、
「宮崎で教室をしてもらえないですか?」とお願いした。
すると快く「いいですよ。」と返事がかえってきた。
(ただ私は、福岡まで通い続ける事に疲れたんだと思う)笑
ところが当時の私の仕事は、建設業(とび職)。
人を集める手段はおろか、会場を探す手段も分からなかった。
力仕事のど根性しか持っていなかった。(笑)
オウム真理教事件後の日本中が警戒していた時期とも重なり、
「気功」という怪しい教室に、貸してくれる会場は少なかった。
時には、作業服姿で会場探しに明け暮れた。
そして、人集めもインターネットもなかった時代。
チラシを作ったり、新聞に広告を載せてもらったりして
色々と作戦、チャレンジを繰り返した。
会場も決まり、少ない人数だったけれども、
先生は、福岡からバスに揺られ、
「宮崎気功教室」のために通って来てくれた。
私は、その先生と2人3脚で挑戦してきたことだと、
今でも感謝しているし、笑い話、思い出話になっているが、
これを通じて私はたくさんの経験をさせてもらったし、
現在へのイベント企画力につながったことは否めない。
そして今でも、「心友」として10年来の交友は続いている。
彼の名は、「青木勇一郎」という。
いつの間にか彼は、日本全国にファンを持つまでになっていた。
催眠トラベル&運命の人に出会うオーラ講座
(第2部)
青木さんに出会った時には、
彼はすでに、「氣」の達人であった。
その中でも、人をリラックスさせることに関しては、
ピカイチの才能を持っていて、
(雰囲気から声、そのリズム全てが・・・)←誉めすぎ?(笑)
誘導瞑想させたら、天下一品だった。
(本人は、自分のことをそう思えなかったらしいのだが・・・)
それで、久々に会った彼は、
ヒプノ(誘導催眠)セラピストになっていた、
というわけ。。。
「人は、花開くべきところで、ちゃんと花開く」
んだな~、と実感した。
(第3部)
今回、青木さんを呼んでセミナーを開催するけれども、
長い間の交友の中でも、このタイトルの分野こそが
彼の真骨頂ではないか?と私は思っている。
それが分かっているだけに、
実は私自身が最も受けてみたいものであった。(笑)
ので、わざわざ宮崎まで来てもらうことに・・・。
(やっぱり私は、イベント好き?)笑
人々は、日々の忙しさに流され、世間の常識に縛られ、
幸せになるための心の声が聞こえなくなっている。
自分が好きなものさえ分からず、
自分が何を求めているのかさえ分からなくなっている。
大きな青木さんの優しい声は、
そんな日常から自分の奥深くに眠る本来の心の声を
きっと呼び覚ましてくれることでしょう。
そこには、誰に知らない未来の自分がきっといるはずです。
周りを見渡して、幸せに成功している人は、
ほとんどが「誰も知らなかった自分」に辿り着き、
それを表現して生きています。
それは、例外なく全ての人の奥に眠るもう一人の自分の姿なのです。
それは、まるで「さなぎから蝶になる」というありきたりな常識ではなく、
「さなぎからツバメが生まれた」
「さなぎがヘリコプターになった」みたいな(笑)
そんな変化なのだと思います。
そんな自分を探したいと、私は思ってます。(*´∇`*)

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