「縁」を操る神さま

クリスマスイブの今日、
僕は娘とバドミントンの練習に行った。
いつもの半分の人数しか
練習には来ていなかった。
「今日は、クリスマスイブだからね~」
そう言う人に、僕は言った。
『みんな見栄張って来ないだけじゃ、ないのかな~』(笑)
今日はそんな話とは、全然関係ない話をします。[#IMAGE|S3#] 僕はよく「縁の神さま」というものについて考える。
そんな神さまが存在するのか?
それとも「縁」というものを司る宇宙の秩序みたいなものが
存在しているのか?
どちらでもいいのだが、
明らかに、未来をも見通すような
正確無比なシナリオを操る何かが存在している。
と、僕は常々痛感し、畏敬の念さえ感じている。
今年の4月、
僕らは引越を決意した。
それは、娘が中学へ入学するのを
いい機会だととらえ、決断した。
しかし、娘の立場からしたら、
保育園、小学校とず~と仲の良かった
友達との別れを意味し、
中学入学という新しい節目の時だとしても、
友達も誰もいない環境への転校という
状況には、違いなかった。
先にこの同じ校区に転校して行った友達もいたけど、
あいにく同じクラスにはなれなかった。
案の定、娘は一人ぼっちの空間に
放り出されたかっこうになった。
娘は、言ってはいけない言葉
だと自覚していながらも、
「前の場所に、戻りたい」と
何度かつぶやいていた。
僕は、聞こえないふりをしていた。
(これでよかったと思える日がきっと来るよ。。。大丈夫だ。)
そして、彼女は「バトミントン部」への入部を決めた。
運動は決して得意でない
彼女だったけれども、
毎日、毎日よくがんばっていた。
そして、同じクラスに同じバドミントン部に
入部した子がいて仲のいい友達になった。
偶然、家も近所であり、
登下校も一緒にしながら、
2人バドミントンに燃えていた。
そして、時が過ぎ、
秋の大会に出場することになった。
出場したのは、中学からバドミントンを始めた選手ばかり
が集まるCクラスというトーナメント大会であったが、
ゆうに100人以上は参加していた。
そこで、彼女はなんと3位になった。
さらに、なんと娘の友達は「優勝」してしまった。
(娘が負けた子に勝っての優勝だった)
僕は、娘の活躍はもちろん嬉しかったのだが、
そんな友達と友達になっていたという
この偶然という名の「愛」を感じずにはいられなかった。
「縁」という名の神さまの仕業だね。(笑)
友達が優勝したことに関して、
娘も嬉しかっただろうが、
それと同時に、別の感情が芽生えたことも
否定はできないであろう。
一人の決断というエネルギーは、
その人だけでなく、
その周りまでをも巻き込んでいく。
そして、そこには
今まで出逢わなかった人たちとの「縁」までを
演出し始める。
彼女が、バドミントンを始めるという決断は、
僕も、バドミントンを始めることになるという未来へつながり、
さらにそのサークルで、
今まで接点もなかった人たちとの出逢いへとつながり、
その「縁」はどこまでも波及していく。
「縁」を操る神さまは、
どこまでのシナリオを見ているのだろう?

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