「できない」という言葉

人生に無駄なことは一つもない、
と言うけれども。
僕は、この10年間に5回引越しをした。
どうやら僕らには、遊牧民族の血が流れているみたいだ。(笑)
新しい空気を求め、さすらい続けている。
そんな未来が分かっていたのか?
大学の時、僕は引越しのバイトを数年間していた。(笑)
お陰で一度も業者には頼んだことがない。
そんな学生の頃の話。
友人が引越しするので、お手伝いに行ったことがあった。
1人暮らしだったので、荷物は少々。
ところが大きな鏡(1.5m×2mくらい)は、
「割れるかもしれないので、運べません。」と
友人が頼んでいた引越屋は言った。
それを聞いた僕は、あ然とした。
”はぁ?あんたらプロだろ?できないだと?
頼まれたものをどうにか運ぶのが、仕事だろ?”
喉まで出かかった言葉だったけど、口には出せなかった。
大きな会社だと、これがまかり通るのか?
呆れかえって、怒りさえ出かかった。
僕のバイトしていた小さい会社では、
考えられない返答だった。
後日、その鏡は僕が運んだ。
学生時代のそのバイトも
卒業した後に就職した会社でも、
僕は同じことを学んだ気がしている。
それは、口から「できません」という言葉は
絶対吐けない、ということ。
言った途端、簡単にそれをやってのける先輩たちがいたから。
自分の弱さを簡単に認めてしまう結果が見えていたから。
それは単に、見つけれませんでした、という薄っぺらい答えだから。
特に、就職した鳶(とび)の現場では、
「生き抜く知恵」が全てだった。
「できません」という言葉は、
意地でも口から出すわけにはいかなかった。
相手は自然であり、油断は命に関わる現場だった。
ペンチは、ハンマーにもマイナスドライバーにもなった。
両手が使えない時は、足も使った。口も使った。
手元に工具がない時、
先輩たちは、キョロキョロ周りを見渡し、
石ころでも小枝でも工具に変えた。
偶然のようにそこにあるものが、命をつなぎとめていく。
常識ではできないことを
当たり前のように可能にしていた。
それは、答えは周りに必ずある、という本能にも見えた。
不可能を可能にする、という錬金術にも見えた。
学歴など無意味な世界で、
記憶した過去の知識ではなく、
生き抜くためのひらめく知恵が
あることを学んだ。
今いる場所で学ぶべきことが必ずある。
未来へとつながる大事な何かが。
人生に無駄なことなど一つもない。
・・・というのは、真実のような気がする。。。

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