もっと深く・・・(2007/タイの旅・最終章)

タイに2度目か3度目、行った時のことだったと思う。

屋台で出てきたメニューの名前を覚えたくて、
「これはタイ語では何て言うの?」と尋ねた。
ところが、何て言ってるのかすら聞き取れない。、
5度も6度も聞き返し、真似して発音してはみるが、
全く発音が違っているらしい。
その屋台の人は、これは無理だと諦め、
どこかに行ってしまった。
その時、「私には、タイ語のセンスはないんだな~」と思った。
(英語もしゃべれないんだけど・・・・・)笑
それから、何度かはチャレンジしたけど、
”私はセンスがない。絶対無理!”という固定観念は、
見事に私の『』と『』に壁を作っていった。
タイ語なんかしゃべれるどころか、
聞き取ることもできない、と本気で思っていた。
じゃべれなくてもどうにかなるし、
楽しく過ごすことができるので、というのが
開き直っていた理由であるとも思うのだが。(笑)
そして、今回も今までと何一つ変わることなく、
何不自由なく楽しい時を過ごすことが出来た。
ツアーの仲間たちが、タイを飛び立って、
一人になるまでは。。。
(第2部)
仲間たちが帰国した後、チェンマイから私はブログにこう記している。
6/5「ひとり静かにタイ」  より
  >仲間たちみんなのスペースで行動してきたから、
  >一瞬でいなくなっちゃうと、
  >少々の戸惑いと寂しさの感じました。
さらに、
  >あと一週間、私はひとりタイで新しい何かを
  >受け取る準備に取り掛かります。
みんなが帰った直後から、私を取り巻く空気はガラリと変わった。
それは、
 『みんなでのプログラムは終了した。
 さ~これからは、お前のためのプログラムが始まるゾ。準備はいいか?』
と言われているような急激な空気の変化であり、
何かが始まる予感に包まれていた。
”何が始まるんだろう~?”
しかし、それはワクワクというより、
ちょっぴり怖さの入り混じった予感であった。
それから夜は明け、それは静かに始まった。
翌日からの予定は、全くの空白だったけれども、
たくさんの素敵な出会いが待ち受けていた。
そして、今までにないゆっくりとした時間は、
タイの人々とゆっくりと会話する時間へとあてられていった。


ところが、楽しい時間であるその中で、
私の心は、自己嫌悪と後悔の念へと落とされていった。
 私は、今まで何をやっていたのだろう。
 6年という歳月の中で、どれほどのタイを知ろうとしてきたのか。
 タイ語もろくに話せず、それでタイの何が分かるというのか。
 タイ語を覚えたい!!
 もっとタイの人々とタイ語で話したい。
 もっともっとタイの人々と深く分かり合いたい。

と心底思うに至った。
残りの日々、私の挑戦は始まった。
(第3部)
まず、私が習得したいと思ったタイ語は、
仕入れの時に最も必要な「数字」であった。
タイ語で、「いくらですか?」というのは、「タオライ?」という。
ところが、タイ語で尋ねれば、タイ語で返ってくるのは当たり前の話であり、
    私   『タオライ?』
    タイ人 『△○”*・>@□▼』
    私   『・・・・・・・・』
この段階でいつも壁にぶつかり、現実の我に返っていたわけで、
    私   『・・・sorry. How much is this?』 (これはいくらですか?)
    タイ人 『It`s twenty five bath』 (25バーツです)
タイ語が分からず、英語に切り替えてしまう自分から、
まずは、このレベルから抜け出したかった。
そしてチャンマイで、友達になった人々から、必死に学びとろうとしたのだが、
日本語にない発音をいくら真似しようと思っても、
それは、容易ではなかった。
へこんで。。。凹んで。。。ヘコンデ。。。凹んだ。。。(涙)。。。

たった1から10までの数字すら、
OKをもらえるのは、せいぜい3つほど・・・・。
100回・・・200回は、練習しただろう。
1(ヌン)、2(ソン)、3(サム)、4(シィー)・・・・・・
そして、たった数字10個すら覚えれぬまま、
3日間の練習の成果を見せれぬまま、
私はチェンマイを去らなければならなかった。

出会った友人達に、教えてくれた友人達に、
ほんの少しの進歩さえ見せれなかったことは、
と~~~っても申し訳なかったし、辛かった。

そして、私はひとりバンコクへ飛び去った。
次回会う時は、きっと、きっとタイ語で話せることを
心に誓いつつ。。。(本当か?)笑
(第4部)
清々しくバンコクの朝を迎えた。
仕入れのための残り3日間が始まった。
それと同時に新しい世界の幕開けでもあった。
それは、一軒目の店で突然始まった。
    私   『アンニー タオライ?』 (これはいくらですか?)
    タイ人 『イーシップハー バーツ』 
と聞こえた。
”え~~!? ・・・・・・「25」?? え~~?もしかして「25」って言ったの?”
私は聞き返した。
    私   『イーシップハー?』 (25ですか?)
    タイ人 『カー』 (そうです) と。
    私   『・・・・・・』 \(^∇^*)/ 
雲はつかめない、と思っていた。
しかし、つかみたいと挑戦したら、意外とつかめるような気がしてきた。
一気に可能性の芽は、地上へと顔を出してきた。
調子に乗ってきた私は、
あちこちのお店で、
        タクシーの中で
屋台で、
         そしてホテルで
タイ語を使ってみたいと、暴走を始めた。
あるお店では、あまりにもしつこいので、
  『1時間500バーツの授業料をもらうからね~』と言われ、
  『いいじゃん、いいじゃん。いっぱい買うからさ~』と、
仕入れをしながら、タイ語をレクチャーしてもらった。
  「もういらない」 「私はこれが好き」
  「これをください」 「もうちょっと安くしてよ~」
  「また会いましょう」・・・・・・・・・・・
でも、タイ語をしゃべろうとする態度だけで、
相手の表情が、今までと違うことに気がついた。
(今までも最高の笑顔を見せてくれていたけれども・・・)
でもそれは、当然のことだった。
日本に来ている外国人が、必死になって日本語を話そうと努力している姿は、
誰が見たって、微笑ましく思えるだろうし、応援したくなるものであろう。
今まで、”分かるはずない”と先に進むことさえ、
諦めていた自分がいた。
その気になれば、たった一度のタイ旅行の間だけでも、
「数字」を含め、あいさつ程度は、習得することは可能だったと思う。
しかし、私がこれを気づくためには、
6年間10数回のタイ渡航が必要だったのだろうと今では思う。
とっても時間がかかったが、ここに至るまでの経緯は全て必要であり、
全て順調だったと思える。
今回の旅で、新たな世界を発見し、タイと私の人生は、
どうにか折り返し地点を通過できた気がする。
今すぐにでもタイへ行きたい気持ちはあるが、
今は、もっとタイ語を勉強して乗り込みたいという気持ちが強い。
私の周りでは、たくさんの友人達が、
”ブート・キャンプ”で盛り上がっているが、
私も3日坊主にならないように、彼らに負けないように、
タイ語に汗を流したいと思っている。
   『諦めずに、歩み続けろ! ヴィクトリー!!』
これが、6年後に見えてきたタイの風景であり、
私の成長の記録です。
コップン・カップ♪(ありがとう)
2007/7/13 記す

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