タイフェアー(鹿児島)を終えて思ったこと

鹿児島のダイエーで、タイフェアーがあり、
たくさんの雑貨を抱え、出店してきました。
そして、たくさんの思いが湧いてきました。(*´∇`*)
6年前、初めてタイに渡った私は、タイ・マッサージを学ぶと同時に、
少々の雑貨を仕入れた。
朝9時からマーケットを回り、自分が持てる限界まで仕入れ、
電車に乗り、ホテルへ帰った。
もう汗だく。。。全身筋肉痛。
そして、シャワーを浴び、荷物を空っぽにし、
再度マーケットの戦場へと向かった。
それを3度繰り返したところで、日没タイムアウト。
しかし、まだマーケットが開いてたとしても、
限界を超えるほどの疲労困憊。
1日4往復は、到底無理だった。
それでも3日間は通い詰めた。
(夜のマッサージのお陰で、翌日には超元気!)笑
そんなに頑張って仕入れた荷物も、
日本に着いてみるとたったのダンボール6つ分。
お店に並べても、空白だらけの雑貨屋にしかならなかった。
それから3年経ったであろうか。
相変わらず体力勝負で挑み続けた私は、
ある時、自分の限界を思い知った。
1日2往復した時点で、気力を失った。
もう動きたくない。
いや動けない。
雑貨を選ぶ思考さえ働く意欲を失った。
精も根も尽き果てた。
「いつまで俺は、こんなことを続けるんだろう?」
どうしよう・・・・・・・。
もうやめようかな・・・・・・・。
仕入れの喜びも同時に急降下し始めた。
(第2部)
今、振り返ってみると、よくもま~そんな非生産的な行動を
続けられたな~と思うけれども、
その時は、他の手段など考える余裕も方法もなく、
誰も教えてくれないので、手探りで進んで行くしか方法はなかった訳で。
でも、私自身の性格等を分析すると、
ギリギリの状況に追い込まれることに、
なぜだかワクワクしていたりして、
どうしようもない状態をどうにかできる自分に酔っちゃったりするので、(爆)
もしかして、こんな状況すら自分で作り出していて、
(とはいえ、そんな苦しい状況なんかホントは望んではいないのだが)笑
ただド根性な経験をしたかっただけなんじゃね~のか~?
って、ハッと気づかされた訳で。
そんな訳で、
”もう前に進めない。”という状況に追い込まれて
初めて他に手段はないのか?と思い始めた。
それからは、一つずつ賢くなっていった。
まず、帰りにはタクシーを利用し始めた。
(駅まで荷物を持って歩く負担の減少。
ホテルについたら、ベルボーイが部屋まで運んでくれるし)
そして、次の段階。
ワンボックスカーをチャーターする術を覚える。
(いちいちホテルに帰らなくとも、車に荷物を詰め込んでいく方法)
そして、今の段階。
日本語が出来るタイ人のサポートをお願いしている。
言葉の心配は全く必要なくなったし、
荷物は買ったところで、預かってくれる。
仕入れの交渉も彼にお任せ。
(相場はある程度分かっているので、無駄な値切りは一切しない)
そして、細かい要望もお店側に簡単に伝わる。
あとは、まとめて近くにある運送屋さんに日本まで送ってもらう。
タイ人の彼との出会いによって、私の仕入れ術は
天と地がひっくり返るほどの激変をみせた。
神様からの突然のプレゼントだったとしか思えない。
これで、仕入れのための無駄な労力は、10分の1以下になったし、
仕入れの量は5倍に跳ね上がった。
でも、思うに、
初めからこの方法を知ってたとしても、
私は使わなかっただろうと思う。
なぜなら、自分の身をもって体験したかったと思うから。
小手先だけの人生には、何の面白味もないと思うから。
ましてや、自分に都合のいい、楽をするお膳立てなど
神様は準備してくれるはずはないと思うから。
「エレベーターなんかないよ。階段を一段ずつ昇ってきなさい」ってね。
(第3部)
開催の2ヶ月前に、福岡の「タイ国政府貿易センター」からFaxが流れてきた。
『鹿児島でタイフェアーがあるので出店しませんか?』と。
ちょうどその2週間前に、古い友人Yから
『鹿児島に転勤になりました』というメールをもらっていたので、
”ちょうどいいじゃん。泊めてもらえばいいし・・・・”(現金な奴らです、私達は)笑
鹿児島に乗り込もうぜ!!と即決で、盛り上がった。
そして、雑貨を車に詰めるだけ詰め込んで鹿児島にやって来た。

何度かイベント、催事等で雑貨販売はしているので、
要領は分かっていたが、
オール・タイ雑貨のイベントは初めてだった。
九州間内からタイ雑貨を扱っている業者が8~9集まっていて、
10年、20年の大先輩達に混じってのイベントは
とっても刺激的だった。

2日もすると、打ち解けてきて情報交換が始まり、企業秘密、ライバルであるはずの情報も、
タイ好きであるがゆえに、心もオープンそのままだった。
「どれが売れてます?」
「どこで買ったんですか?」
「ホテルは?」
「あのホテルよりあそこの方がいいですよ。」
「あそこの屋台が旨いよね。」
大ベテランの人たちと対等に会話できる自分が嬉しかった。
誰からも教わらず、手探りで見つけてきた現状は、
最短距離で辿り着いた場所であったことを確信した。

私は、準備、片付け、土曜日に鹿児島に泊まって、友人Yとの一瞬の食事を楽しみ
日曜日だけの参加だったが、実り多いものだった。
スッキーは、友人宅に泊めてもらいながら、楽しいイベントを過ごしたようだった。
最終日、片づけを終了し、友達になった業者さんたちと、
「またどこかのイベントで、いや~タイで会うかもしれませんね~」と笑顔で別れた。
とっても素敵な人たちとの出会いであった。
そして、宮崎に帰る高速道路の中で、
スッキーとこんな会話を交わした。
「めちゃくちゃ楽しかったね。収穫も多かったね。」
「うん!」
「でも、その中で最も大きかった収穫(プレゼント)は、何だった?」
「・・・・・・・・・」
この言葉、思いは私と見事に一致した。
『Yさんとの再会だったかな』
神様はたくさんのプレゼントを用意してくれていたと思う。
それは、経験であり、出会いであり、情報であり、お金であったり。
でも、それは表面的な表の部分であり、
メインイベントと見せかけて、その裏にある何気ない日常の中にこそ、
”人生の中で最も大事な何か”が隠されているのだと思う。
幸せとは何ぞや?
そう問いかけて、出てくる本心にブレはない。
『とっても美味しかったですね、あのお寿司。
また一緒に食べましょうね。Yさん♪』
(完)

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